佐々木寺社建築

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寺院本堂の修理工事〜ほんとうに直すべきもの、について考える。

現在、南砺市城端で修理工事中の本堂は、大正期に再建されて約百年が経っています。

江戸中期以降、高い技術水準で全国に名声を博した大工集団が、井波町(現・富山県南砺市井波)を中心に存在しました。

井波の中心にある古刹 井波別院瑞泉寺は、幾度も火災により焼失していますが、その都度立派に再建されてきました。江戸後期〜明治〜大正期にわたり再建されてきた堂宇は、井波大工の心と技の集大成ともいえる立派なもので、流儀を受け継ぐ私たちの教科書として、今もとても身近にある建物です。

現在、弊社で修理中の本堂も、瑞泉寺の堂宇伽藍の再建に技を振るった副棟梁の一人、木屋久蔵翁が棟梁を務めた本堂と記録されています。100年経った今でも、軸部に大きな歪みもなく、精緻かつ堅牢に造られたことを知ることができます。ですが、屋根や外壁部分は常に風雨にさらされ浸食される消耗部分で、いたるところに雨漏りがおこり、軒の腐食が見受けられたため建立以来初めてとなる今回の大規模修理を行うことになりました。

今回の修理工事では、主に壊れたり腐ったりしてしまった部分を、繕ったり取替えたりすることで、今後も更に100年間安心して使える様にする事が大きな目的です。このように傷んだ部分だけを取替えて、何代にもわたり何百年間も大切に、守り使い続けることができるのは、日本の伝統工法による木造建築の大きな利点と思います。私自身も日頃から、寺院・神社の新築、修理をはじめ文化財建造物の保存修理に携わりながら、日本の伝統工法の魅力を強く感じていますし、そうした技術・技能の継承のためにも、できるだけ多くの人に、その魅力を知って頂きたいと思っています。

先祖先達が大切に守り伝えてきた貴重な建築文化を、次世代に遺していくために重要なことは、先ずは伝統工法の技術・技能を正確に習得し、駆使する事ができなければなりません。また一方では、技術・技能と同じくらい大切なこととして、何のために造るのか?なぜ古く傷んだ建物に、多くの時間と資金を費やしてまで修理し使い続ける必要があるのか?という事をきちんと理解していなければならない、ということです。

それらは、モノとしての建物の価値を守ることで、当該建物と地域あるいはそこに暮らす人々との関係を守る、ことだと思うのです。建物の価値は、古さや技巧の優劣だけでは計れないと思います。その場所(建物)に、どんな人々が集い、何を語り合い、どんな歴史を成就してきたか、入れ物としての建物と、入る者としての人間との関係の歴史こそが建物の価値になっていくものと思うからです。

見渡せばモノや情報が溢れ、煩わしい人間関係から逸れていても、自分一人で生きていられると錯覚する現代。人と人、地域と地域、物や事との距離が遠ざかり、関係が薄れていく昨今。折しも、未知のウィルスが世界中に起こした影響が、今後更にそうした傾向を強めていくかもしれません。

人は皆、過去に向かって生きている、と言えるのかもしれません。

成長や進化こそが幸福の証として、未来をつくることは古きを捨て新しきを得ることと思う人もあるかもしれません。ですが何人も立志決定の過程には、人であったり物であったり、風景であったり、出来事であったり、様々な出会いより得た目的に向かって生きているのだと思うのです。決定した目的は瞬時に過去となりますが、人生とは目的(=過去)に近づくための時間なのかも知れませんね。

今回の修理させて頂いている建物も、関わる地域の人々や、伝統工法を受け継ごうとする若者達にとって、それぞれの「過去」に向き合える場所になってほしい、と願いたいのです。IMG_64103

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